夜の高台寺


 今年もまた、はずしてしまった。今年の紅葉はすでに2週間前にピークを迎えていた。昨年もまたそうだった。今年なぜ11月最後の土曜日に京都に行くことにしたかというと、すでにホテルはなく、一昨年には早すぎたためだった。
 とても憂鬱になっていた。僕は風邪を引き、妻は体調を崩し、何度もキャンセルしようかと考えた。
ぎりぎりまで悩み結局出かけた。京都にはモミジ以外に見たいものはいくらでもある。まけおしみだ。
 それにFホテルは大変古く狭かった。他になかったので仕方がない。しかしだ。料金は東京の一流ホテルよりも高い。信じられなくて、フロントに確認をしたがその相場らしい。この京都旅行はろくなことがなさそうだった。

 あきらめきれず、まだライトアップされている高台寺に向かった。ライトアップされているお寺はたくさんある。昨年は清水寺に行った。タクシーの運転手さんが高台寺は雰囲気がありますよと勧めた。枯れモミジもまたいいかもしれない。
 高台寺には人があふれていた。すぐ前の円徳院にはまだきれいなモミジが少しだけ残っていた。まだきれいじゃない。そんな声が聞こえていた。高台寺の参道は竹の中に明かりを通し、夜の竹林と参道の美しさを演出していた。秀吉とおねが奉られている、霊屋が見える庭園は、きれいにライトアップされていた。わずかに残るモミジが朱を引いていた。結構いいじゃない。ぞろぞろと人が流れていく。意外に若い人たちが多く、後ろの女性が「おねってノリピーよね」と言った。

 人々の肩越しに臥龍池(がりょうち)を垣間見たとき、この世のものかと疑われるほどの感動があった。そよとの風もなく、鏡のような池面にささやかながらきらめく紅葉と黄金の堂が映っていた。木々の幹や枝がなまめかしく伸び上がっていた。ここだけ不思議な宇宙があったと言っていい。タイムトンネルの入り口のようにも見えた。そこには何か異質の深い深い世界が見えた。間違って落ちてしまったら帰って来ることができない気がした。決して踏み込めない400年前の過去がそこにあるようだった。
 約700本のモミジがあるそうだが、池に映っているのはほんのわずかのモミジである。しかし、そのわずかのモミジが逆に、不思議で、すばらしく美しい情景を作り出していたのだ。僕たちはすっかり魅了され、しばし、立ちつくしていた。多くの人々が本当に動こうとしなかった。

 皆がその美しさを写真に残そうとしていたが、デジカメでは無理のようだ。あきらめて、自分の網膜にしっかり焼き付けた。こんなに美しい風景を見ることができたのは本当に幸運だった。
 後ろ髪を引かれながら池を離れようとしたとき、誰かが小石を落としたのだろう、小さな波紋が池の中の宇宙をかすかに揺らしていた。
(2002.12.10)

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