西村正次


西村正次(にしむら せいじ)1922-2013年



「サンジャンカップフェラー」 日動画廊取扱(日動展) 油彩15号

経歴
1922年 熊本県下益城郡松橋町に生まれる。
1942年 東京美術学校に入学するが、学徒動員の後、兵役で陸軍に入隊。
   最後に赴いたインドネシアのレンバン島で終戦を迎え、戦後に復員。
1949年 東京美術学校(現 東京芸術大学)を卒業。不知火中学校に勤務。
1950年 松橋町立西部中学校に1か月間勤めた後、熊本県立松橋高校に赴任。
1953年 3月に退任後、上京。師:寺内萬治郎
1957年 第28回第一美術展に出品、運営委員として招聘される(2年で退会)。
1962年 第6回安井賞候補新人展出品。
                   第1回個展(以後1999年まで日動画廊、兜屋画廊などの企画で17回開催)。
1963年 第4回みずゑ賞候補新人選抜展出品(1964年にも出品)。
1967年 第19回立軌展に招待出品(以後1968, 69, 70, 71年招待出品)。
1968年 渡欧第1回(以後1997年まで19回渡欧)。個展日動画廊他18、日動展、太陽展、台北国際芸術博展、立軌展招待、東美、熊本
2013年 4月死去(91歳)。

美術年鑑 2010年掲載  評価額 1号につき 21万円

☆今回インターネットで購入しました。結構頑張りました。購入が全く後悔のない結果でした。素晴らしい雰囲気、カラー、美しい景色、夢を感じる素敵な絵でした。このようなところにすみたいな。玄関の正面に。

※宇城市不知火美術館の西村正次画家の「ポルトフィーノ」の絵の紹介よりコンピューターをいただきました。西村正次画家のことが楽しく書かれています。
「作者の西村正次は、熊本県の松橋生まれ。東京へ出て美術を学び、美術教師を務める傍ら、公募展で受賞を重ねました。40代半ば頃から晩年にはヨーローッパへ約20回も渡航し、各地で目にした風景を作品制作に活かしました。
 若い頃の西村は、がっちりした体躯に長髪も髭ももじゃもじゃ、という大男でした。教師時代には、不良生徒を分厚い手の平で厳しく叱りつけることも度々で、生徒たちからは「海賊」「バイキング」のあだ名で慕われたようです。  パステルカラーを主とする画風からは想像できないことかもしれませんね。
 とはいえ「海賊」は、若い頃から一貫して美しい風景画を好んで描きました。東京美術学校時代、外国の綺麗な風景ばかり描こうとする西村に、あるとき先生が言いました。
「似合わん絵を描くなぁ。もっと地元の絵を描かんか。」すると西村は、「田舎者だから美しいものに憧れるのです」きっぱりと答え、あくまでも自分の描きたいものを描きつづけたそうです。
 自分の出自や欲求を恥じることなく、素直に、美しいと思うものを追い求めた画家の仕事だからこそ、それを見る私たちも衒うことなく、ただ美しいなぁと思えるのかもしれません。
 ちなみに、宇城市役所1階ロビーにも同様の作品が飾られています。美術館収蔵品とは別の作品ですが、本作の姉妹品です。宇城市へお越しの際は、ぜひご覧ください。」

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